先に宣言しちゃいます。3日坊主を。
でも書きたい気持ちが募ってきたので書きます。
きっかけは先日道であった中学の同級生T君の言葉。
ブログもうやらへんの?おもろかったのに。(確かそう言ってた)
調子乗りなので、人にそう言われたらムクムクと書きたいパワーが漲ります。
よくこんな言葉を耳にします。
「80歳くらいで死んだらちょうどええかな」
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いやいやいやいやいや、ちょっと待て!
なんで人はそういうんだろう・・・
若い頃漠然と何の気もなく、自分もそんなことを言ってた記憶はある。
が、死期がどんどん近づいた今日このごろ。
僕は天寿を全うしたい!
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天寿とは本来は250歳のことのようだが、どう考えてもそれはないので、
大還暦、つまり120歳までは生きたい。
いま現在やっと1周終わったところだ。
振り返ってみると、1周目の人生は「我利我欲」の人生だった。
自分が良ければそれでいい。自分の利益や欲望を満たせればそれでいい。という人生。
それは全く否定しないし、ダメなことでもないし、僕にとって必要な人生だったんだと思う。
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1周目が終わりに近づいた54歳の時に出会った、「キャリアコンサルタント養成講座」
自分とはどういう人間で何を大切にして生きてきて、どんな違いや強みを発揮してきたのか?
自分と向き合って自分を知るということをずっと数年間続けてきた。
僕はその後会社を辞め、やりたいこと、やれること、やるべきことをずっとやってきた。
このブログもその一つかも知れない。
そして行動していくうちに、「忘我の時」を迎えた。
我を忘れて熱中すると、自分というものが消えてきた。
いわゆる個人としての中野敦志が時折消える。
「僕の」という執着がなくなってくる感覚。
仏教でいう、「一即多、多即一」。
それは以前奈良巡りにはまっていた40代後半に感じた感覚と似ていた。
平城京跡にある基壇の上に座って南方を眺めていた。
1300年前に確かに存在していた都の中で、自分と同じような小役人がいる。
日々を悩みながら生きている。
そんな小役人と自分の人生が重なった時、1300年という時間を越えて何かに繋がった感覚があった。
そして感じたのは自分の人生たかが100年だと。
その時の感覚に似てた。
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伝わりにくい話かも知れませんが、ポジティブ心理学でも「何か大きなものとつながる」という
のは幸せに生きることと大きな関係があると言われています。
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だから120歳まで生きても孤独ではないのです。
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